『グローバル キャリア シリーズ』
JSIEは、一人ひとりがリーダーシップをとり力を発揮し行動することによって、誰もが自分らしい生き方のできる社会の実現を目指します。
『グローバル キャリア シリーズ』
JSIEは、一人ひとりがリーダーシップをとり力を発揮し行動することによって、誰もが自分らしい生き方のできる社会の実現を目指します。
第一回(長野県下高校協力):佐々木文子氏(JSIEディレクター)
長野県須坂高校卒業後、青山学院大学国際政経学部、大学院卒。
第二回 :林 由佳氏(ジャーナリスト)
「日本で生まれ育ち、英字新聞の記者へ」
ウォール・ストリート・ジャーナル記者(元東京副支局長)ワシントンDC勤務。ロイター通信、ダウ・ジョーンズ経済通信で記者として東京、
第三回 :川嶋雄作氏 (国際機関勤務)
「私の選んだ道:アルゼンチン留学とそれから」
世界銀行シニアイノベーションオフィサー。埼玉県生まれ。
第四回 :髙橋美乃李氏(Japan Youth Platform for Sustainability (JYPS) 事務局)
「私が選んだ道:アメリカの全寮制高校へ」
愛知県出身。高校1年生まで愛知県内の公立学校へ通う。高校2年生の時、単身でアメリカ合衆国ペンシルバニア州にある全寮制高校Perkiomen Schoolに編入し、2年後に卒業。正規留学をした高校では、サッカー部、バスケットボール部で活動。シニア学年としてリーダーシップポジションに選出される。卒業後、ワシントンD.C.にあるアメリカン大学へ入学Business Admirationを専攻し、主にInformation TechnologyやInternational Businessを学ぶ。大学時代は、コンサルティング会社やフィンテック企業でのインターンや学生団体の運営などを行う。D.C.という都市柄、国際関係や開発、ビジネスをお仕事にする方との出会いを大切にするため、あらゆるネットワーキングイベントに参加し、自分の知識の幅を広げる。2020年の10月に外資ソフトウェアカンパニーに入社予定。現在、入社する前に「ギャップイヤー」として趣味や興味のあることに時間を費やしている。
第五回 :鐘ケ江紗里氏(東京医科歯科大学 共同災害看護学専攻 博士課程)
「自分の道を切り開く~集中治療室、ネパール、そして博士研究」
福岡県出身。福岡県立明善高等学校卒業後、自衛隊看護学校に入隊。
第六回:チュック・ベッシャ― Chuk Besher (プロデューサー)
「自分のアイデンティティを探せ」
コロンビア大学、国際関係・公共政策大学院(School of International and Public Affairs)の修士課程修了。日本問題及びインターナショナル・コミュニケーション専攻。主な著書は『コロンビア大学院で考えた世界と日本』(はる書房)、『日本 出る杭考現学』(月刊コラム)等。現在、Tokyo Headline コラムニスト。神戸市生まれ、日本国籍。両親は白系ロシアの難民。愛妻ゆきちゃん、長男ノア、次男ルカの4人家族。趣味は滝修行。2020年MineプロジェクトがNHKで紹介される。Future is Mine ~Ainuはこちらから。
第七回:小竹洋之氏(ジャーナリスト)
「ジャーナリストの仕事とは」
北海道小樽市生まれ、早稲田大学政治経済学部卒業。1988年に日本経済新聞社入社。経済部で財務省や日銀、
第八回:みたけさや氏(ファカルティワークスCEO・アーティスト)
「自分のきた道~いろんなことをマルチに追求する」
幼少期より、ディスプレイデザイナーの父とアーティストの母のもと、モノを作ることにひたすら夢中になって育つ。多摩美術大学美術学部デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業後、株式会社リクルート入社。その後、株式会社メディアファクトリーに希望出向。デザイン、コピー、アートディレクション、クリエイティブディレクションに携わった後独立。2004年有限会社ファカルティワークス設立、CEO就任。サイトはこちら。https://www.facultyworks.net/ バーチャル美術館に展示されている。
「ひとり一人が自分自身の在り方を肯定し、楽しめるようなモノづくりをしていきたい」と、活動のフィールドをグラフィックデザインから、ジュエリー、アクセサリーデザイン、抽象絵画までに広げていく。18年にわたって色彩心理学も学び、独自の色彩がほとばしる抽象絵画は、NYのギャラリーからも注目される。天然石(ストーン)のコンシェルジュ、オラクルカードテラーとしても活躍。アトリエ兼オフィスで日々、モノや色と語りながら制作を楽しんでいる。
第九回:武部直子氏(医師・研究者)
「日本を飛び出して米国へ~先端医学研究に取り組む」
National Institutes of Health米国立がんセンター開発治療外来副部長、早期臨床治験開発プログラム、トランスレーショナルサイエンス・セクション・ヘッド
2007年からNIH米国立がんセンターがん治療評価部門(CTEP)勤務、2017年から同センターの開発治療外来(Developmental Therapeutics Clinic)の副部長、早期臨床治験開発プログラム、トランスレーショナルサイエンス・セクション・ヘッドとして勤務。CTEP在籍中は、がんの早期薬剤開発のため産官学連携のもとで全米の大学医学がんセンター臨床治験を統括。NIH国立がんセンター以前は1999年よりメリーランド大学医学部血液腫瘍内科及び病理学科のアシスタントプロフェッサー、骨髄移植部門のアテンディングフィジシャン、がん実験治療学のラボの主任研究者。多発性骨髄腫の薬剤開発研究、臍帯血ステムセルの体外増殖、臍帯血ステムセル同種移植などの研究を行っていた。1988年に弘前大学医学部を卒業、日本で3年間の臨床研修の後、1991 年に渡米、サンフランシスコのUCSF関連病院であるCalifornia Pacific Medical Centerで内科レジデントを行い、ニューヨークのメモリアルスローンケタリングがんセンターの血液腫瘍内科フェロー、分子薬学治療学部門で遺伝子治療の研究をポスドク時代に行った。現在NCI Precision Medicine Initiativesの一つである “Exceptional Responder Initiative”ならびに “NCI-MATCH”のインベスティーターを勤め、NCIプロボカティブ・クエスチョンチーム、キャンサームーンショットの“ヒト腫瘍アトラス”のプロジェクトメンバー。Elsevier出版社のジャーナル、”Current Problems in Cancer”のアソシエートエデイター。日本のがん免疫治療ガイダンスワーキンググループの海外アドヴァイザー。米国内科専門医、血液学科及び腫瘍学科専門医。
第十回:後藤 志保子氏 (シンクタンク 副ディレクター)
「シンクタンクからみた世界とは」
米国ウッドロー・ウイルソンセンターアジアプログラムの地政経済学の副ディレクターであり、北東アジア研究の上級研究員を務める。日本、台湾、および韓国の経済と政治、およびこの地域の米国の政策に関する専門家。前職は、ジャーナリスト兼アナリストとして、ダウ・ジョーンズとUPIに勤務し、東京とワシントンにて10年間、世界経済、国際貿易、アジア市場と政治について記事を執筆。The Globalistの寄稿編集者でもあり、それ以前は世界銀行に勤務した。East-West CenterやKnight Foundationからフェローシップを授与される。オックスフォード大学卒業。早稲田大学修士。日仏英の3か国語に堪能。
第十一回:税所 篤快氏 Atsuyoshi Saisho (e-Education 創業者)
「世界でドラゴン桜を~バングラデッシュの成功」
第十二回:小木曽 麻里 インパクト投資会社CEO
「途上国問題にかかわって~社会課題解決のインパクトとは」
インパクト投資、社会起業家支援、
2020年まではファーストリテイリングのジェンダー及び人権分
第十三回:ウイルソン ユキ氏(パティシェ)
「地域と連携~高校生と食品ロスの問題に取り組む」
熊本市生まれ。1997年渡欧。ロンドン、パリの「ル・コルドン・ブルー」で製菓を学んだ後、研修生として滞在。1999年から、ロンドンのサボイホテルやロンドンのコンラングループの「グレートイースタンホテル」で、パティシエとして活躍。イギリスで開催の洋菓子やデザートのコンテストに出場し、99年のイギリス・ホテリンピアでデザート部門・ゴールドアワード、2002年のイギリス・デザートオブザイヤーでシルバーアワードを受賞。2004年に帰国。Tomi’s Shortbread Houseオーナー(サイトはこちら)。
現在は、レシピ本の出版や新聞の連載を重ねて、トミーズショートブレッドハウスを持つ傍ら、日本とイギリスやその他の海外の文化をつなぐ活動に邁進している。お料理以外に好きな事は、旅行と読書。
第十四回:石川えり氏(認定NPO法人難民支援協会 代表理事)
「私が難民問題に取り組む理由」
1976年生まれ。上智大学卒。1994年のルワンダにおける内戦を機に難民問題への関心を深め、大学在学中、JAR立ち上げに参加。大学卒業後、企業勤務を経て2001年より難民支援協会(JAR)に入職。直後よりアフガニスタン難民への支援を担当、日本初の難民認定関連法改正に携わり、クルド難民国連大学前座り込み・同難民退去強制の際にも関係者間の調整を行った。2008年1月より事務局長となり2度の産休をはさみながら活動。2014年12月に代表理事就任。第5回日中韓次世代リーダーズフォーラム、第2回日韓未来対話にそれぞれ市民セクターより参加。共著として、『支援者のための難民保護講座』(現代人文社)、『外国人法とローヤリング』(学陽書房)、『難民・強制移動研究のフロンティア』(現代人文社)ほか。二児の母。上智大学非常勤講師。一橋大学国際・公共政策大学院非常勤講師。
第十五回 :内藤つばさ氏 (弁護士)
「私が国際弁護士事務所で働くまで」
中学まで日本で育つが、私立中学の細かい校則(髪が肩についたら縛る、ヘアゴムは黒か茶色のみ、など)や、黒板をただ書き写すだけの授業に疑問を持つ。中学3年生の夏休みにサンフランシスコのサマースクールへ参加し、教師が生徒の意見も聞きながら双方向で進む授業に魅力を感じ、高校はアメリカ式の授業を受けたいと慶應義塾ニューヨーク学院へ入学。その後、慶應義塾大学法学部法律学科へ進学。人の権利を保障する憲法の授業に魅了され、法科大学院(ロースクール)へ進学する。ロースクール在学中、ワシントンD.C.のジョージタウンローセンターへ交換留学。そこで世界中から集まった優秀な法律家たちに刺激を受け、将来は彼らと一緒に仕事をする国際弁護士になりたいと切望。帰国後、2020年に弁護士登録。現在は東京の外資系法律事務所で、企業法務に関する法的アドバイスをサポートしている。
第十六回:坂井滋郎氏(医療食品管理局(FDA)研究員)
「バイオ研究者とは~紆余曲折をへてたどりついた道」
京都出身、北海道大学卒、英ケンブリッジ大学にて博士号取得。高校時代まで数学と物理学が得意だったため、漠然とロボット開発に関わりたいと考え、大学の学部では機械工学を専攻。その後、細胞が持つ機械的な一面に魅かれ、修士課程では生物工学を専攻。しかし、周囲の研究に対する意識の低さが目に付くようになり、日本脱却を考え始める。幸運にも様々な人との出会いもあり、将来の可能性を広げようと漠然とした目的を持って渡米。MITにおいても生物工学の研究をしていたところ,再び出会いに恵まれ、ハーバード大学において免疫細胞を使った研究をする機会を得る。ここでの経験により免疫学への興味が目覚め、将来的に免疫細胞学関連の研究者になりたいと考える。そのためには生物学の基礎を学び直す必要があると感じていた時に、ボストンに訪れていたケンブリッジ大学の教授と話す機会があり、博士課程はその教授の下で研究を行う。2016年から再びアメリカに戻って、米国医療食品管理局(FDA)にて研究員として勤務。FDAでは新生児の免疫メカニズム解明の研究に取り組む傍ら、ワクチン薬承認査定にも従事。坂井氏のインタビュー記事はこちら。
第十七回:忍足謙朗氏(元WFPアジア地域局長)
「私のきた道:世界の不平等を知る」
30年以上にわたって国際連合に勤務し、1989年からは国連世界食糧計画(World Food Programme–WFP)に勤め、特に紛争地、自然災害地、などで緊急食糧支援を行う。WFPは2020年のノーベル平和賞を受賞。
2006年にスーダン共和国にて、当時、世界最大規模の緊急支援を指揮。77国籍からなる、3,000人のスタッフを統括する。2009年から2014年、WFPアジア地域局長に就任。タイ、バンコクをベースにアジア14カ国の支援の総責任者となる。紛争が続くアフガニスタンから、政治的に複雑な北朝鮮などの現場にも何度も入り、指揮をとる。この道のリーダー的存在として2006年にTBS「情熱大陸」、2014年にNHK「プロフェッショナルー仕事の流儀」に出演する。2015年から日本で活動を始めて、国際協力に興味を持つ若い世代の育成に力を入れている。著書に「国連で学んだ・修羅場のリーダーシップ」文藝春秋社2017年発行がある。
第十八回:加藤和世氏(米国際交流センター)
「私のきた道:留学や国際交流の大切さ」
米国法人 日本国際交流センター(JCIE/USA)エグゼクティブ・ディレクター。日米関係、国際交流に取り組む日米両国の組織における約20年間の経験を経て、2021年4月より現職。現職に就く前は、ニューヨークの日米交流団体ジャパン・ソサエティーのグローバル・パートナーシップ・イニシアチブ担当上級部長として、ファンドレイジングおよび全米・日本における共催事業・オンラインプログラムの企画運営に従事。2010年~2020年にかけて、東京の笹川平和財団の主任研究員として日米交流事業を担当後、ワシントンDCの笹川平和財団米国において、プログラム・総務担当部長として日米関係に関する政策対話、研究、発信を中心とする事業を企画・運営。スタンフォード大学卒業(学士号、修士号取得)。デューク大学非営利マネジメント課程修了。モーリーン・アンド・マイク・マンスフィールド財団US-Japan Network for the Future プログラム・メンバー。
第十九回:清田 英巳 Emi Kiyota (国際NGO 創設者)
熊本県出身。国際NGO、Ibasho.orgの創設者。環境老年学、医療施設における組織改善を支援する専門家であり、高齢者介護施設の環境とケアの向上に努める。建築行動学博士。米国、欧州、アジア、アフリカで高齢者介護施設、病院、リハビリテーションセンターなど「高齢者の居場所」をつくる概念を基に、日本、及び、アジア等において、高齢化の進むコミュニティが抱える諸問題を地域住民が主体となり解決していくための「居場所」作りの立上げと長期的なサポート、そして、高齢者が地域を支える存在となるための認識の共有、機会の提供を目的とした活動を立ち上げる。ibasho.org はネパール、フィリピン、日本、など各地で活動を広げている。
第二十回:真鍋希代嗣氏 (idpc(国際開発プランニングコンテスト)代表
「好きを仕事にし続ける:凡人からのグローバルプロフェッショ
福岡市出身。大学では物理学を専攻したが、
第二十一回:森永明日夏氏 (舞台俳優・ティーチングアーティスト)
「人生を変えるタイミングと出逢いーright time, right person」
舞台俳優・ティーチングアーティスト・舞台通訳&スタッフ。NY在住。桐朋学園芸術短期大学演劇科卒業、俳優座を経て、文化庁在外派遣研修生としてHB STUDIOにて2年間研修。NYの著名劇場、専門家の協力を得て、日本とニューヨークの架け橋となり、日本国内でのシアターエディケーションプログラム向上に努める。2020年より、アメリカ最高位の芸術賞・National Medal of Arts(国家芸術勲章)をオバマ大統領から受け、OBIE賞(オフ・ブロードウェイ演劇賞)を受賞したピンチョンが創設したピンチョン+カンパニーのレジデンス・ティーチングアーティスト。シアターエデュケーター・ファシリテーターの活動として、NYのジャパンソサエティー、調布市せんがわ劇場、東京芸術劇場、世田谷パブリックシアター、NPO法人 種のアトリエ、パルテノン多摩、公益財団法人国際文化フォーラム、公益財団法人広島市文化財団アステールプラザ、広島大学附属三原小学校などでの実績がある。
第二十二回:合田真氏 (日本植物燃料株式会社 代表取締役)
「起業家として:私がモザンビークから実現したいこと」
1975年長崎生まれ。京都大学法学部を中退したのち、2000年に日本植物燃料株式会社(NBF)を設立、アジア・アフリカを主なフィールドとして事業を展開している。2003年にはバイオ燃料の生産を開始。2012年モザンビークに現地法人ADMを設立、無電化村で「地産地消型の再生可能エネルギー、食糧生産およびICTを活用した金融サービス」を行う。2018年6月には『20億人の未来銀行ニッポンの起業家、電気のないアフリカの村で「電子マネー経済圏」を作る』(日経BP)を上梓。
第二十三回:竹川隆司氏 (一般社団法人IMPACT Foundation Japan代表理事)
「世界の笑顔の総数を増やすために〜日本と世界の架け橋を目指して〜」
神奈川県横須賀市出身。国際基督教大学卒業後、野村證券にて府中支店、人事部、野村ロンドンに勤務。30歳で独立、フィルモア・アドバイザリー(東京)、Asahi Net International, Inc.(ニューヨーク)を設立、主に教育テクノロジー分野でグローバルに事業を推進。2014年に帰国後は、東北の復興支援活動に参画、発起人代表として「東北風土マラソン&フェスティバル」を立ち上げ、過去7回開催で3万人を集めて「スポーツ振興大賞」等各賞を受賞。またインパクトジャパンにて、カタールフレンド基金の支援を受けて、東北での起業家育成・支援プロジェクト「INTILAQ」を主導、仙台市にイノベーションセンターを設立。2016年同センターにzero to oneを創業し、人工知能など先端IT人材育成のための教育教材の開発、提供を推進中。東北大学特任准教授(客員)、一般社団法人AIビジネス推進コンソーシアム理事なども務める。2006年ハーバード大学経営学修士(MBA)。
第二十四回:今井章子氏(昭和女子大学教授)
「私の選んだ道のり:人生を自分で拓く力 ~編集者、米国留学、そして、アフリカ女子中学校創設へ」
横浜市立大学卒、英文出版社Japan Echo取締役編集部長を経て、ハーバード大学ケネディー行政大学院修了(行政学修士)。国際交流基金情報センター英文エディター、公益財団法人東京財団等を経て2016年10月より昭和女子大学教授。ジョンズ・ホプキンス大学SAISライシャワーセンター客員研究員(2005)、東京大学法学政治学研究科客員研究員(2006)、米国戦略国際問題研究所(CSIS) Japan Program Visiting Fellow (2015)。 日本からの市民協力により設立されたタンザニア・アルーシャ州の全寮制女子中学校「Sakura Girls Secondary School」を支援する一般社団法人「キリマンジャロの会」常務理事も務める。
第二十五回:文美月氏(株式会社ロスゼロ代表取締役)
「グローバル・アントレプレナーへの道のり~食品ロス問題をビジネスで解決~」
同志社大学経済学部卒。日本生命の女性総合職として融資に携わる。留学・結婚・2度の出産を経て、2001年に自宅のPC一台で起業。品揃え日本最大級の1万点・販売累計420万点のヘアアクセサリー専門ECサイトを育てる。日本最大級のECモール楽天市場にて、受賞率1%以下のアワードを3度受賞するほかECアワード多数。2010年から、ユーズドヘアアクセサリーを回収、約4万点をカンボジア・ラオスなど発展途上国10か国の少女達に寄贈。一部をカンボジアで販売し、売上を職業支援に回している。8年間のリユース経験で「もったいない」ものの価値を知り、2社目を起業。大きな社会課題である食品ロスに注目し、2018年食品ロス削減プラットホーム『ロスゼロ』を開始。東京都女性ベンチャー成長促進企業の一社として、シリコンバレー視察へ派遣される。 2019年大阪府食品ロス削減推進パートナー認定企業となる。2020年春、1日1トン削減を達成。 2011年より全国の自治体、大学で数多くの講演を行う。2017年度・内閣府男女共同参画局「アジア太平洋で活躍する女性交流事業」検討調査委員。
第二十六回:村上博美氏(一般社団法人JSIE代表理事)
「政策研究と社会的起業~日本の外からはじめて見えたものとは?」
米国、フランス、ドイツなど海外生活が21年を超える。内外の民間企業やワシントンDCのシンクタンク等に勤務した経験から、米国で自分たちが得られるような機会を少しでも日本の女性と若者へと、2017年にDCにてJSIEを設立。ワシントンDC経済戦略研究所(ESI)上席研究員、アジア部門バイスプレジデント、日本医療政策機構理事、米国戦略国際問題研究所(CSIS)グローバルヘルスポリシーセンター非常勤フェローなどを歴任。米国際経営学修士、米国ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)国際関係論博士。上智大学理工学部卒業。
第二十七回:谷田部剛氏 (谷田部銘板製作所代表取締役)
「とにかく行動:米国留学や社長業から学んだこと」
東京都板橋区出身。立教大学経済学部卒業。専門商社勤務後、2000年よりジョージワシントン大学大学院へ留学。在学中は米国ワシントンDCのシンクタンク、経済戦略研究所でインターンを経験。
大学院卒業後は、信託銀行や国際機関での勤務を経験。2003年、家業の経営者である母親の病気が発覚、実家に戻り工場経営を手伝い始める。2005年、前社長急逝により、株式会社谷田部銘板製作所の経営を引き継ぐ。3代目経営者。モノづくりの面白さに目覚め、現在、日本のモノづくりを後世に残すために奮闘中。